教会へは行ったけど

2016年05月08日 17:22

 今日は日曜日で教会へ行く日であった。何か生きずらかった。母親に無理に行かされて今日は行った。自ら行こうと思って行ったのではなかった。これでも一教会員なのになんだか偽善者になってしまっている。ずっと行っていなかったからそれを余計に感じる。祈り、信仰心はないのだろうか。もう一度よく考えなおしてみたい。明日からは仕事が始まる。週三回しか行っていないがこの仕事もただ漠然とやっているのだろうか。偽善と、ただ漠然、なんだか共通する点があるのではないか。気持ちを込めて仕事をしないと失敗のもとだ。教会もしっかり祈らないといつまでも偽善者のままだ。仕事も教会も心が一致しないではないか。私は何のために教会へ行っているのだろうか。ここにきてそれを深く悩み始めてきている。病のせいにするのは少しずるいのだろうか。体がだるい、体が重苦しい、これを理由にするのは自分が自分に逃げているのではなかろうか。教会へ行ってもやはり眠かった。体がだるかった。理由にならない理由を言っていてこれでは情けなではないか。明日は朝早く衛生病院の仕事がある。そしてプリンも作らなければならない。また土曜日にトライアングルを販売にもっていったので、それも時間があれば作らなければいけない。本当は教会へ行って生き生きのびのびしなければいけないのに、これでは次の日が生かされない。自分で自分を偽善者とは私も認めたくない。だから仕事でまじめに仕事をしても意味がない。明日という日をそういう日にはしたくはない。本当の意味で主に救われたい。一日も早く完全に神の子供にもなりたい。神の子供、そうだ。偽善から脱出するにはこれしかない。