なぜ日本は無宗教なのか

2019年06月28日 03:36

 なぜ日本の国には一つの宗教がないのでしょうなのですか。  それでいて仏教が基本だのと言われています。  日本の国は不思議ですね。  それで自由だからいろんな宗教を持つ人と持たない人に分かれています。  日本人はそれでいて仏に対して祈ります。  それで目に見える偶像を祈ります。  目に見えないと人間は不安に陥るのでしょうか。  

 私はクリスチャンですから、神は光でありその神は生きていると信じています。  そういえば歎異抄という本がありますが親鸞の弟子たちが書いたものです。  それには他力本願とか悪人こそ救われるのだと書かれています。  どこが類似しているかというと悪人、つまり罪人です。  イエスは罪人を滅ぼして救うからです。  キリスト教の一つの教えにはそうした罪人の悔い改めについて書かれてあると思います。  そして涙です。  悪をたった一つでも犯すと特に日本人はそれをすごい偏見の目で見ます。  そして社会復帰がなかなか困難です。  日本人は単一民族だから特にそういう気持ちがあるのでしょう。  それに日本は島国です。  世界から日本の国をよく見ると全く日本の国がどういう国か知らない人が多いと思います。  なぜかというと日本が昔から外国貿易をやらずに、鎖国に走ったところに問題があるのではないでしょうか。  その鎖国の道が世界から後れを取ったと頃ではないでしょうか。  ですから外国の田舎町行って日本という国を知っていますかと言われても現代の日本を知らに人が大勢いると思います。  おそらく江戸時代の暮らしを今でもやっていると答える人が大勢いると思います。  物言わぬ国日本。  それれに日本は現在明治時代になりそれからたった百五十年ぐらいしかたっていません。  それに明治の文明開化の時代にはその昔から女に羽男から虐げられてきました。  女には字を書くことも知識や知恵を身につける必要はないと。  つまり学問のことですね。  そうした厳しい世の中にも明治の女性の中には女だって、学問の知識を深めてもいいではないかと言われている人もいました。  その女性は日本人で初めて女医になった人がいました。  そしてようやく日本の男も女を認めるようになったのでしょう。  クリスチャンだってそうです。  一応仏教国である日本は、キリスト教に対してい違和感をもっていtのでしょう。  昔長崎にザビエルが鉄砲とキリスト教を持ってきました。  しかし豊臣秀吉は禁止令を出してしまいました。  そして日本人のクリスチャンは弾圧されて隠れクリスチャンが増えて行きました。  そうして長くいろいろな文化のもとに現代にいたっているのではないでしょうか。  仏教的なものが広がり、色々な偶像を造り今日まで至っているのではないでしょうか。  そしていまだに決まった神がいないのではないでしょうか。  また自由という言葉も自分勝手に決めているのではないでしょうか。  だからこそ今のような時代に陥ってしまいました。  男娼、娼婦、など汚れたものが大勢います。  その結果日本の国はどうなっているでしょうか。  虐待、家庭崩壊、学校崩壊、その他もろもろに乱れ切っています。  子作り一人前、子育て半人前ではありませんか。  そうした子供のまま大人になってしまい、結婚して子供を造り、育児放棄や子供の虐待が増えているのではないでしょうか。  


 そこには一つの宗教が定まっていない原因もあるのではないでしょうか。  しっかりしたものがないから日本人の心は不安定に陥ってしまうのでしょう。  私はクリスチャンで立った一人主イエス・キリストを信じています。  闇は光に勝てなかったとヨハネの福音書に書いてありますがどういう意味でしょうか。  闇は夜であり光は明るい昼間です。  しかし本当の意味は闇は悪魔であり光は神であるということですね。  そういう意味でその罪、罪悪感が今の現代人には、そこのところが一番欠けているのではないでしょうか。  つまり罪人とはだれを指しているのでしょうか。  そう私たち自身です。  私たちはそれを自覚し、それに確信を持たなければなりません。  それがないから今の世の中は乱れ切っているのではないでしょうか。  戦前までの人間はその辺のモラルや決まりごとがしっかりと守られていました。  しかし戦後派が増えて贅沢になって乱れた社会が出来上がったのではないでしょうか。  今の世の中はき違えた自由がはびこっています。


 それでいいのでしょうか。  だから乱れて警察官が性犯罪に走ったり学校の教師が教え子に犯罪を犯すのではないでしょうか。  常識も非常識も分からない世の中になってしまいました。  罪を知らない人間が今は増えています。  それに格差さえ極端に生まれてきました。  できた人間はより常識的に大人になっています。  しかしそうでない人はいつまでも赤ん坊のように泣き叫んでいるだけで成長がストップしたままです。  よく考えなければいけませんね。  つまり誠実に生きるとは言葉ばかりになっているのではないでしょうか。 そうした人生が果たして日本の国を背負って立てるのでしょうか。  私はそれが不安です。  クリスチャンは己の罪を悔い改めよと教えられています。  だから涙ながらに赦しを請うのです。  今の若者にはそうした心がまったくありません。  自由に生きて金さえあれば何でも手に入るからです。  なぜ貧しい人に、あるいは乏しい人に力になって助けの手を指し宣べないのでしょうか。  外見はどんなにいい顔をしていても内面は今の人は全く違います。  心が冷え切っています。  金はたくさんあってもそれを惜しみ貧しい人に分け与えるのがもったいないと思っているのでしょうか。  私たちクリスチャンは違います。  貧しいからこそ、乏しいからからこそ助けの手を差し伸べるのです。  そこにクリスチャンの奥義があるのです。  しかし今の現代にそれを教え訴えても聞く耳を持たないでしょうね。  聞く人はおそらく少ないでしょう。