なぜ神を信じるのか
神は生きています。 主イエスは父なる神のもとから我々人間階に連れてこられたのです。 わかりますか。人の心には善の心と悪の心の二つがあります。 主イエスは全の心を私たちに据え置くために来たのです。この世は悪魔がはびこっています。 それに悪はいにしえに存在するからです。 そのために悪魔支配から人間を癒すために来たのです。 主イエスは罪人のもとにいつも着ます。 それに善の心を引き戻すために我々人間の罪を癒されるのです。
もし悪魔がキリストだというならキリスト・イエスは人を癒したりは絶対にしません。 むしろ悪魔が人を癒したり、救ったりするならそれは全くの誤りです。 パリサイ人が言いましたね。 イエスは悪霊の力で人を癒しているのだと。 悪霊は決して人を癒したり、救ったりはしません。 悪霊は人を試したり誘惑をするからです。 誘惑をする悪魔がそのような癒しをするでしょうか。 そこがそこが救い主(イエス)との大きな違いです。 信仰を持つつ人間の心にどうして悪霊が入ることが出来るでしょうか。 信仰は神の聖霊のもとにあるものですし悪霊には聖霊がありません。 聖霊は父なる神のみが与えているのです。 だからイエスは精霊のバプテスマを受けることができまた、その神様の御技をそのまま成就しているだけなのです。 だからこそ人間は善の心のもとにいられるのです。 善の心は己の心を救ってくれます。 イエス・キリストが言ったではありませんか。 「あなたの信仰があなたを救ったのです。」と。 悪魔にそれが出来るでしょうか。 悪魔はルシファー(堕落した天使)のことを言いそれを悪魔だとそう聖書に書いてあるではないですか。 普通天使は父なる神のもとにいますが、主から離れた者はみな堕落をしてしまうのです。 だからこそイエスがそのためにこの世の人間の罪を癒し、救いに来たのです。 それを誤解して聖書を読むと恐ろしい宗教にはまってしまいます。 例えばカルトとか......。
人は一人では弱いものです。 ですから人は集団で生き、クリスチャンはいつも一緒にいます。 クリスチャンは教会(イエスの骨または体)なのです。 また誠実な教会は従順であり。悩みを持った人や病人を自由に出入りさせて皆が相談に乗ってくれます。 そこに真理と真実があるのです。 そうでない教会はお金をたくさんだまし取り自分こそが神であると言います。 それには皆さんは決してだまされないでください。 神はどこまで行っても神であり、主は主であり、、キリスト・イエスも同じです。 だから怪しい教会はすぐにあなたを誘惑の道に誘い込みます。 そうして大金を出せばあなたは救われますというのです。 そうした教会にどれほどの信仰があるでしょう。 よくあなたはそこのところを考えてください。 誘惑と宗教は全く違います。
イエスは人の子であり、また神の子なのです。 だからこの世に送り込まれたときは我々人間と同じく痛みを知っていました。 しかし十字架に血を流されたときの後はどうだったでしょうか。 この世に一度死んだではありませんか。 そしてあの世からまた蘇えって来た時どうでしたか。 人の姿をしていてもイエスは弟子たちのところにしか来ませんでした。 なぜ私たちのところには来なかったのでしょうか。 キリスト・イエスの弟子だからではなかったからでしょうか。 いいえそうではありません。 もしかしたらあなたの後ろにいつもいるのではないのでしょうか。 だから聖書に「あなたと共にいる。」と書かれているのです。
さあ私たちもその信じtなるキリスト・イエスと共に歩もうではありませんか。 イエス・キリストこそ光であり私たちの救い主だからです。